カタールのドーハから、小型のNikonレンズを受注しました。
ドーハといえば、間もなく50歳となる私の年代では、”ドーハの悲劇”を思い起こすことでしょう。
1993年10月、大学生の私はテレビにかじりついていました。当時、地域一部リーグの体育会サッカー部に所属し、生活は学業よりもサッカーが中心となっていました。
その頃、ドイツ・イタリア・スペインなどの海外リーグと比較すれば、日本代表がワールドカップサッカーに出場するなど、私が生きている間はないのではないかと思えるほど、レベルが違う状況でした。
ところが、プロリーグのJリーグが設立されて空前のサッカーブームが起き、日本代表に信じられない勢いが生まれ、この最終試合に勝てば1994年のアメリカ本大会に出場確定、引き分け・負けでも他会場の結果次第で出場できる状況になりました。
試合は終了直前まで日本が2-1で勝っていましたが、残り数秒というところで同点とされてしまいました。
試合終了後、選手はグラウンドにへたり込んでいました。私もあまりのショックにテレビの前で呆然としていました。日本のスタジオに切り替わっても、誰も声を発せることができませんでした。
我に返ったのは、バイト先の店長からの電話でした。
「試合、勝った?」
勤務中だった店長は状況を知りません。
「ダメだった。信じられない。。。」
私は絞り出すように結果報告しました。
すでに30年が経過していますが、今でも鮮明に覚えているほどの出来事でした。
今年の11ー12月には、そのカタールでワールドカップ本大会が開催されます。日本は1998年フランス大会から連続して本大会出場するようになりました。当時と比較して、とても大きな変化が起きています。
この年齢になっても、日本代表を応援する気持ちには変わりません。この期間は寝不足確定です。